“看護師という私” から “一人の人として生きる私” へ
精神疾患って
私は、精神科の看護師になった。入院病棟で出会った患者さんは、ほとんどの人が精神疾患をもっていても、なんだか普通に生活しているように見えた。
“何で入院しているんだろう?” と疑問に思った。
私は、病棟で勉強会に参加し、患者さんを通してさまざまなことを学んだ。
しかし、私がどれだけ精神疾患や障害を理解していても、薬や治療法の知識を得ても、患者さんとのコミュニケーションを工夫しても、退院支援をしても、退院した患者さんはいつの間にか病棟に戻ってきていた。
患者さんとの対話
私は、再入院した統合失調症をもつ一人の患者さんと話をした。
「なぜ入院病棟に戻ってくるのか?」
彼女は「さみしいから」と答えた。
たった数センチしか開かない、だだっ広い窓の向こうから夕日がみえる
彼女と並んで夕日を見ていると、なんだか私は泣けてきてしまった。
私が実践してきた看護はいったい何だったのか。
落ち込んだ。
精神科の看護師になってたくさんの知識や技術を身につけてきたつもりなのに、
私は彼女に何もしてあげられないのだと、無力な自分の身の程に初めて気がついた。
よし、病院を出よう。そして、地域で生活する患者さんに出会ってみよう。
そこから私のリカバリーは始まった。
地域で出会った人達
地域には、自分の病気を語り、自分の障がいを活かして生きる多くの人々がいた。
自分の病気や障がいを個性とし、同じ病気をもつ人と助け合って生きている人
私なら躊躇してしまう言いにくいことを、空気を読まずにズバッと言える人
私のネガティブな思考をカッコイイと賞賛しポジティブに転換してくれる人
時には、仕事が上手くいかず病気の症状が強くなることもあるが、
仕事のことで苦しみ悩むことができることこそ、人生の醍醐味だと胸を張って言う人。
その人たちから私は多くのことを学んだ。
精神疾患や障がいからの回復(リカバリー)は、誰かが助けるものではなく、
自分で感じるものであること。
リカバリーは精神疾患や障がいをもっている人だけが体験することではなく、
看護師である私自身もリカバリーできること。
そして、私が一人の人として生きているように、目の前にいるその人も一人の人として生き
ていることを。
一人の人として出会う
私はその人たちとの出会いによって、“人が自分らしく生きることへの看護”や“看護師ではなく一人の人として出会うことの大切さ”について考えるようになりました。
こんな私もまだまだリカバリーの道のりを歩み始めたばかりです。
みんなで一緒に対話したいことがたくさんあります。
生きることの意味、苦しむことの答え、そして自分らしく生きるとはどういうことなのかを。
30代、女性